甲子園でサヨナラボーク…宣告した審判の心中 語られなかった敗戦投手への“心配り”

2015年05月19日    テスト二郎d

青春のすべてを甲子園という夢の舞台にかける球児たち。勝負である以上、どんなプレーにも判定が伴う。大舞台だからこそ、ではなく甲子園に縁のない高校同士の練習試合も、日本中が注目する場面でも、普遍のジャッジがあってこそ高校野球は成り立つ。1998年夏の甲子園大会2回戦。豊田大谷と宇部商は延長十五回、史上初のサヨナラボークによる豊田大谷の勝利という幕切れとなった。主審を務めた林清一氏(59)に試合を振り返りつつ、高校野球の審判哲学を語っていただいた。

top_poster100年の歴史で今のところ唯一のジャッジは、異様な雰囲気の中、“究極の当然”を求めた結果の産物でもあった。

 人によるかもしれない。ただ、林氏は「下調べをしない」をモットーに、ゲームに臨んでいた。

 「コントロールがいいとか、三振記録を持っている、という予断が入ると際どい球のジャッジがぶれるかもしれません。人間には弱さもありますから」

 完璧でないことを認め「見たまんまで判断する」。長年、自らに言い聞かせてきたことだった。

 第2試合。グラウンドは38度。直後に横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)の試合が控えており、「あの時点で超満員でした」と振り返った。

 五回終了時、水を飲んだ。試合は延長へ突入。「水分、差し入れを期待したんですが、来なくてねえ」と笑うが、その時は笑い事ではなかった。塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続けた。